世界遺産「イスタンブール歴史地域」観光スポットが集まる旧市街
金角湾やボスフォラス海峡、マルマラ海に囲まれ、東西交通の要衝にあるイスタンブール。
ローマ帝国、ビザンティン帝国、オスマン帝国と、3つの帝国の都として、2000年以上もの間、政治・文化・宗教の中心地となった旧市街は、世界遺産の宝庫。
イスタンブール旅行で絶対にはずせない王道の観光スポットを、一挙に公開します。
世界遺産「イスタンブール歴史地区」
■ 4つの資産区域で一つの文化遺産
1985年、世界遺産に登録された「イスタンブール歴史地域」。
単一施設での登録ではなく、旧市街に広がる4つのエリアから構成された複合区域が一つの文化遺産として登録されています。
4つのエリア
#1スルタンアフメト都市遺跡群
#2スレイマニエ・モスクと関連地域
#3ゼイレック・モスク(旧パントクラトール修道院)と関連地域
#4イスタンブール城壁地帯
上記4エリアの中でも、本記事はイスタンブール観光の王道「スルタンアフメト地区」を中心にレポートします。
UNESCO
■ チケット料金・服装・定休日など
観光名所が目白押しのイスタンブールではありますが、訪問するチェックしておきたいことが3つ。
入場料 | 服装規定 | 定休日 | |
---|---|---|---|
アヤソフィア | €25(約4,000円) | あり | ー |
トプカプ宮殿 | ₺1,700(約7,500円) | 聖遺物展示室のみあり | 火曜日 |
ブルーモスク | 無料 | あり | ー |
地下宮殿 | ₺900(約4,000円) | なし | ー |
ヒッポドローム | 無料 | なし | ー |
入場料金
トプカプ宮殿約7,500円、アヤソフィアと地下宮殿はそれぞれ約4,000円と、各施設のチケット料金は、なかなかのお値段!
もし予算に限りがあるなら、自分の興味に応じて取捨選択するのも手です。
服装
イスラム教のモスクに入る際には、服装規定を遵守。肌が露出した格好(ノースリーズや短パン)はNG、女性はスカーフなどで髪を覆う必要があります。
定休日
トプカプ宮殿のみ火曜日休館。そのほかは定休日はなし。ブルーモスクについては、1日5回ある礼拝時間は観光客の入場不可となる点にも留意。
アヤソフィア
■ 時代とともに変容した歴史的遺産
アヤソフィアは、537年にビザンティン帝国の皇帝ユスティニアヌス1世の命で建設された、キリスト教正教会の大聖堂。
1453年、オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープルを征服すると、ミナレット(尖塔)やミフラーブ(壁龕)が追加され、イスラム教のモスクへと改修されました。
1935年以降、トルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの政教分離政策により、博物館として公開されていましたが、2020年エルドアン大統領の決定により再びモスクとして利用されるようになりました。
呼称問題:アヤソフィア or ハギヤ・ソフィア
「ハギヤ・ソフィア(Hagia Sophia)」とは、キリスト教の大聖堂時代の呼称で、「聖なる叡智」を意味するギリシャ語に由来。その後、オスマン帝国〜トルコ共和国時代を通じて、「Hagia Sophia」を音訳したトルコ語「アヤソフィア(Ayasofya)」の名称が一般に定着。ただし、国際的には「Hagia Sophia」という英語表記が用いられるケースも多い。
■ ビザンティン建築の最高傑作
2024年1月から、観光客に対する入場有料化とともに、非イスラム教徒が入れるのは、2階ギャラリーのみとなったアヤソフィア。
東側(アフメト3世の泉亭の向かいあたり)に設けられた外国人観光客専用のエントランスから入場。
大理石の柱と壁に支えられた回廊は、黄色いフレスコ装飾が残るアーチ天井が続いています。
大聖堂の内部は、長方形のバシリカ式プランで、計104本(下回廊40本・上回廊64本) の柱に囲まれています。
アプス(後陣)から外陣までの長さ100m、幅69.5m。その上に戴く半径約31mの円蓋ドーム。圧巻の大空間です。
東端に設けられた至聖所には、オスマン帝国時代のモスク化によって、メッカの方向を指し示すミフラーブ(壁龕)やミンバル(説教壇)が追加されています。
2階部分に掲げられた8枚の円形パネルは、19世紀に取り付けられたもの。預言者ムハンマド(左)、唯一神アッラー(右)のほか、正統カリフ4人、ムハンマドの孫2人の名がカリグラフィー(アラビア書道)で記されています。
■ 必見!黄金のモザイク画
ビザンティン時代の聖堂を彩るのが、精緻なモザイク画。
アヤソフィアには、初期キリスト教美術を代表する傑作の数々が残されています。
キリストと皇帝コンスタンティノス9世・皇后ゾエ
南ギャラリーの東端の壁にある『キリストと皇帝コンスタンティノス9世・皇后ゾエ』は、11世紀のモザイク画。
紺衣をまとい、中央の玉座に座るキリストは、全能の神(パントクラトール)を表す典型的な図像で描かれてます。
キリストの両側には、寄付を捧げる皇帝と皇后。もともとコンスタンティヌス8世の皇女だった皇后ゾエは、生涯のうち3回結婚したとされ、夫が変わるたびに、皇帝の顔や銘文が作り直されたとのこと。
現在残っているのは、ゾエ最後の結婚相手となった皇帝コンスタンティヌス9世です。
パントクラトールを示す図像シンボル
- 右手で祝福を与え、左手に聖書を持つというポーズ
- イエス(Ιησούς)・キリスト(Χριστος)を表すギリシャ語の最初と最後の文字から派生したモノグラム「IC」と「XC」の文字
- 右手のハンドサインは「IC」「XC」を表す(人差し指「Ι」、曲げた中指「С」、薬指と親指の交差「Х」、曲げた小指「С」)
デイシス(嘆願)
南ギャラリーの中央あたりに残っているのが、ギリシャ語で「嘆願」を意味する『デイシス(Δέησις/Deësis』と呼ばれるモザイク。
最後の審判に際し、審判者たる全能の神キリストに、人々の赦しと救いを懇願する聖母マリア(左)と洗礼者ヨハネ(右)の姿は、ギリシャ正教会系の聖像(イコン)における伝統的な題材の一つ。
キリストは、前述の『キリストと皇帝コンスタンティノス9世・皇后ゾエ』と同様、典型的なパントクトールの図像として描かれています。
下半分が大きく欠損しているものの、上半身における顔や衣類の陰影を細やかに描写したこのモザイク画は、ビザンティン芸術の最高傑作です。
制作時期と時代背景について
1204〜1261年のラテン帝国時代(コンスタンティノープルを占拠した第4回十字軍によって樹立)、ギリシャ正教会からローマ・カトリック教会への宗旨替えをされたアヤソフィア。1261年、ミカエル8世がコンスタンティノープルを奪還し、ビザンティン帝国が再興すると、再びギリシャ正教会へ復帰。これを記念して、『デイシス』が制作されたという説が有力。
聖母子
アプス(後陣)の半円ドームに残る『聖母子』のモザイク画。726年〜843年まで続いた聖像破壊運動が収束した9世紀後半頃の作品といわれています。
アヤソフィアが博物館からモスクに転換された2020年以降、残念ながら白幕で隠されてしまいましたが、隙間から拝むことができます。
セラフィム
天井ドームの四隅(ペンデンティブ)に描かれているのは、最高位の天使「セラフィム(熾天使)」。
2枚で顔を隠し、2枚で足を隠し、残りの2枚で空を飛ぶという聖書の記述通り、6枚の翼を持つ姿で描かれています。
モスクに転換されたオスマン帝国時代以降、金属製の蓋で顔が覆われていますが、左角1ヶ所のみ、蓋が取れて天使の顔が見えるようになっています。
聖母子に献上する皇帝
アヤソフィアの南西の角、1階の拝廊につながる扉の上にある半円ティンパヌムを飾る『聖母子に献上する皇帝』。
中央には、幼子キリストと聖母マリア。聖母の両側には、「神の母」を意味するギリシャ語(ΜΗΤΗΡ ΘΕΟΥ)のモノグラムである「MP」と「ΘΥ」が記されています。
向かって右側、街を捧げているのが、コンスタンティノープルを建設したローマ皇帝コンスタンティヌス帝。
向かって左側、聖堂を捧げているのが、アヤソフィアを建設したユスティニアヌス1世。
出口の手前、最後のところで、コンスタンティノープルとアヤソフィアの成り立ちを具象化した貴重なモザイク画を見ることができました。
Hagia Sophia
トプカプ宮殿
■ オスマン帝国・歴代スルタンの居城
1453年、コンスタンティノープルを陥落させたオスマン帝国のメフメト2世によって建設された「トプカプ宮殿」。
以降、400年にわたり、歴代スルタンの居城として、オスマン帝国の政治・文化・宗教の中枢を担った宮殿は、総面積は約70ヘクタールにも及びます。
高い城壁に囲まれた敷地内は、第一中庭、第二中庭、第三中庭、第四中庭、そしてハレム(後宮)の5区画に分かれています。
宮殿のメインゲートにあたる「皇帝の門(Imperial Gate)」から第一中庭までは無料エリア。
「表敬の門(Gate of Salutation)」から奥にある第二中庭〜第四中庭に入場する場合は、チケットが必要となります。
■ ハレム(後宮)
トプカプ宮殿に入場して、一番最初に向かったのが「ハレム(後宮)」。第二中庭の北西側に、ハレム専用の入口があります。
ここは宮殿の中でも最もプライベートな空間で、スルタンの家族、妃、側室、彼らに仕える女官や宦官たちが生活していた区域です。
キッチンや警備隊詰め所など、各所に配置された実物大の人形によって、当時の生活や装束などを伺いしることができます。
400以上の部屋に、いくつもの通路と中庭が複雑に入り組んだハレム内は、まさに迷宮。
扉をくぐり抜けていくうちに、自分がどこにいるのか分からなくなってきます。
ハレム内で、とりわけ素晴らしいのがタイル装飾。
植物をモチーフにした流れるような線を、計算された対称性(線対称・点対称)で意匠化することで、無限につながる有機的なパターン。
繊細で優美なタイルで覆われた部屋は、ため息ものの美しさです。
シンガポールの、カラー配色で幾何学的に構成されたプラナカン・スタイルと、また異なる美しさがあります。
16世紀に造設された「謁見の間」は、宮殿内で最大の円蓋ドームをもつ大広間。1666年に起きたハレムの大火災の後、オスマン3世によってバロック調に改装。
正面にある玉座は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世からの贈りもの。ベネチア製の鏡の裏には、秘密の抜け道があるそうです。
謁見の間の奥にある「ムラト3世の部屋」は、オスマン帝国史上、最高の建築家である「ミマール・シナン(Mimar Sinan)」によって1578年に造られたもの。
部屋をグルっと囲む、アラビア文字の碑文が刻まれたコバルトブルーのタイル帯。その上を埋め尽くす青・白・ピンクのイズニック・タイルに、ステンドグラスの窓と、ハレム内に現存するスルタンの私室のなかで、最も豪華な部屋と言われています。
■ 宝物庫
「幸福の門」の奥に広がる第三中庭。
「謁見の間」、「アフメト3世の図書館」、「衣装展示室」、「聖遺物展示室」など見どころはたくさんありますが、絶対に見逃せないのが「宝物庫」。
有名な「トプカプの短剣」や、86カラットの「スプーン職人のダイヤモンド」など、オスマン帝国の富と権威を象徴する豪華な宝飾品が展示されています。
■ ハギア・イレーネ
トプカプ宮殿の有料エリア(第二〜第四中庭)を出て、最後に訪れたのが、第一中庭にある「ハギア・イレーネ(Hagia Irene)」。
4世紀初頭に建てられた、コンスタンティノープル(現イスタンブール)で最古のキリスト教教会の一つで、オスマン帝国支配下においても、モスクに改築されることのなかった数少ないビザンティン教会です。
身廊と2つの側廊からなる典型的なバシリカ式の聖堂で、ドームは直径15m・高さ35m。
他のビザンティン建築に比べると、装飾はシンプルですが、金に輝くアプスの半円ドームには十字マークが残されています。
敷地も広く、見どころも多いトプカプ宮殿は、全部をじっくり見て回るには1日あっても足りないかもしれません。
時間が限られている場合、あらかじめ絶対見たいスポットを決めておくといいと思います。
Topkapi Palace
スルタン・アフメト・モスク
■ 世界で最も美しい!ブルーモスク
スルタンアフメト広場を挟んで、 アヤソフィアと向かい合うように建つ「ブルーモスク(Blue Mosque)」。
17世紀初頭、オスマン帝国のスルタン・アフメト1世によって建設されたモスクで、正式名称は「スルタンアフメト・モスク(Sultan Ahmed Mosque)」といいます。
今も現役のモスクであるため、訪問する際は服装規定を遵守(ロングスカート・スカーフの貸出あり)。
また一日に5回ある礼拝時間には、観光客は入場できなくなる点にも留意が必要です。
正面から見ると、中央ドームを頂点に、一段下の半円ドーム、礼拝堂の四隅に配置された中ドーム、さらには中庭を囲む回廊上に並ぶ小ドームと、4層に連なる大小のドームが見事。
礼拝所内部の広さは64m✕72m、中央ドームは直径23.5m・高さ43m。
約260にものぼるという窓は色とりどりのステンドグラスで彩られ、天井からはシャンデリアが吊り下げられています。
壁面を飾るのは、トルコのタイル名産地イズニク(İznik)で生産された「イズニック・タイル」で、使用総数なんと2万枚以上。
このタイルの青色が、「ブルーモスク」という名の由来になったそうです。
礼拝所を出て、手前には設けられたコートヤードを見学。
四方を回廊に囲まれ、中央に八角形の沐浴所(現在は未使用)があります。
世界一美しいとも称される「ブルーモスク」は、イスタンブールで必見のスポット。他施設の入場料が高額化するなかで、無料というのは観光客にとってはありがたいかぎり。
くれぐれも信仰の場ということを忘れずに見学しましょう。
Sultanahmet Mosque
地下宮殿
■ ビザンティン帝国時代の地下貯水池
スルタンアフメト広場のすぐ横にある「地下宮殿(Basilica Cistern)」は、イスタンブールの中でも異彩を放つ観光スポット。
その名の通り、地下にあるのですが、正しくは宮殿ではなく貯水池。
6世紀、ビザンティン帝国の皇帝ユスティニアヌス1世の命により建設されました。
地下は、長さ約140m✕幅約70m✕高さ9m、総面積約9,800㎡。 336本の円柱が整然と並ぶ空間は、確かに宮殿の大広間のよう。
鏡のような水面にライトアップされた柱が映り込む様子は幻想的です。
柱の多くは、他の建造物からの再利用らしく、装飾やデザインもバラバラ。特に有名なのが、メデューサの頭の彫刻で、一つは逆さま、もう一つは横向きに設置されています。
映画『007ロシアより愛をこめて』や『インフェルノ』の舞台にもなったという「地下宮殿」。歴史と神秘が織りなす唯一無二のスポットです。
Basilica Cistern
ヒッポドローム
■ 古代の競馬場
ブルーモスクの北西側に広がる広場は、ローマ時代に建設された古代競馬場「ヒッポドローム」の跡地。
建物などは現存していませんが、広場には貴重なモニュメントや記念碑が残っています。
- ギリシャのアポロン神殿にあったブロンズ記念碑「蛇の柱」
- エジプトのカルナック神殿から運んだ「テオドシウス1世のオベリスク」
- コンスタンティヌス7世が建てた「石積みのオベリスク」
- ヴィルヘルム2世が贈った「ドイツの泉」。
イスタンブールの都市としての起源となった、ビザンティウム(コンスタンティノープル以前の名)時代からの遺産である「ヒッポドローム」。
スルタンアフメト地区内のド真ん中にありながら、通り過ぎてしまいがちなスポットですが、ちゃんと訪問しておきたい場所です。
イスタンブールの中でも、歴史的な文化遺産が集まっている旧市街のスルタンアフメト地区。
今回、すぐ近くのホテルに宿泊したこともあって、たっぷりと観光を楽しむことができました。
広告